カウアイ島から一年。一年越しに受け取ることのできたもの。

明日、娘が2歳と3ヶ月になります◎

 

そして一年前のちょうど今日から数日後

 

コロナがいよいよ大流行しはじめて、

渡航禁止の国が次々と発表されたり、逆に観光客の受け入れをシャットダウンしはじめる国もどんどん出て

海外行きの航空会社も次々と便を減らしていく中で

 

娘が当時1歳3ヶ月になって数日経ったころ

娘の面倒の一切を旦那さんにお願いして

 

わたしは一週間、日本を離れて

ハワイ諸島の中で最古の島と言われるカウアイ島を訪れ、

 

「宇宙元旦」と言われる春分の日の朝日

 

カウアイ島の海で迎えることが、できました。

 

※うち、初日の一日はオアフ島に一泊。

 

 

帰国して羽田空港に降り立ったその日に、

「ハワイからの入国(帰国)者は2週間の外出禁止」等の決まりが発表されたほど、

 

ギリギリの中、すり抜けるかのように何事もなく行って帰ってくることができた、

今思うと信じられない奇跡の旅。

 

実家の神奈川にいる両親も、日本で日々移り変わるニュースを目の当たりにしながら

 

「(この時期に行って、帰ってきて、そしてハワイ旅行者に関する措置発表があったその日にスルリと帰国してくるって)

あの子はほんとに強運だねえ。。。」

 

と話していたそうです。

 

 

ほんの数日、行きと帰りの日がそれぞれずれてたら

カウアイ島を訪れることも、

逆に日本に予定通り帰ってくることも

できなかったと思うけれど

 

無知ほど強いものはなく、

 

もともとニュースを見ない環境(※テレビ無い)

 

コロナが大流行、と情報としては知っていても

 

わたしの眼の前のリアルな世界は

 

かわいい娘

 

夫のJOEさん

 

窓を見やれば広い畑の自然、緑

 

そして伊豆・伊東という地域柄

 

(すでにこのとき伊東を訪れる観光客はどんどん減り始めていたと思うけれど

もともと都会と違って人が多い地域ではないので、

日々の生活の中では何も変わらないように映っていました)

 

 

そういう環境の中で

もともと大の怖がりのわたしが、

 

コロナが大流行、ということには全然リアルさを感じず

 

恐怖や迷いのような感情が生まれることはないまま

 

帰国のときだけ、

 

「ウィルス持ち帰ってたらどうしよう(周りに申し訳ない)。。」

 

というくらいの気持ちで。。。

 

 

そして何よりも

実家の両親

夫のジョーさん

娘をいつも遊びに連れて行ってた支援センターの保育士さん

その他、地域のつながりある方(SNSでもつながってる)

 

誰一人として

 

「こんな時期に海外に行くなんて」

 

っていう、嫌味や、止めようとするエネルギーや、どうなのって視線

 

(特にわたしは1才児を一週間も置いておいて、という前提の中にもかかわらず)

 

発する人が、

 

ほんとうに一人も周りにいなかったのです。

 

 

事前にSNSのグループでつながっていた

一緒にカウアイ島に行く予定の人たちの中には

 

友人に諌められたとか、

 

会社からものすごい圧力かかっているとか、

(それによって帰国後も、東京から地元まで帰ることができず、都内のホテルをしばらく転々としていたとのこと)

 

ついには前日に、行くことを辞めると決める人まで

(これはもちろん他の事情もあったのかもしれません)

 

 

そして身近なつながりでも

その時期、海外に行く予定で、諦めた人すらいたのに、

その人も含めて、

 

見事にだれも批判&反対しない

 

ものすごく応援&楽しみに思ってくれている感

 

 

もともと嫌になるくらい、

人の感情に敏感に察知してしまうわたしが

(鈍感ならばともかく^^;)

 

ひたすらにこんなポジティブで温かい気持ちばかりを感じていました。

 

お世話になってる保育士さんたちも、みんな。。。

 

ほんとに、

 

「”世の中、ママに厳しい”とか、

ぜったい嘘だわあ。。。」

 

そう確信するほど

わたしの体験を楽しみに、

そして応援してくれる気持ちばかりが伝わる渡航前の日々でした。

もちろん、戻ってきてからも。

 

(そしてこれは余談ですが、今もなお。。。

母になって、子をもって、2年と3ヶ月がもうすぐ経とうとする今も、

変わらず感じている感覚です。

何をやっても、ずっと、応援され楽しみにされている感しかない。。。)

 

 

でもこれも、もしかしたら、

数日、数週間、出発と帰国が後にずれていたら、

こうはならなかったと思うと。。。

 

ほんとうに不思議な導きでした。

 

 

けど、

初日のオアフ島で宿泊した、

カハラホテルのレストランで

 

※そして余談ですが、この半年後ほどに、日本初のカハラリゾートがオープン・・☆

日本のそれとはだいぶ雰囲気が違うなと感じたけれど、

これも不思議なタイミング。。☆

 

 

集まった8名のメンバーと、ディナーを通して自己紹介をしたときに

 

一年経って、今だから書けること。

 

実はものすごく強い

 

場違い感

 

を感じてしまったんですね。

 

 

わたし、やっちまった。と、思ったのです。

 

わたしはここに来るべきメンバーじゃなかった。

 

ものすごく強く感じたのです。

 

 

それは、メンバーが、全体的に

 

ものすごくスピリチュアルなパワーを持っている人や

そういう仕事をしっかりとされてる方が多くて

 

 

悲しいかな、

 

自己紹介やフリートークで話していることば(単語等)が

 

何を言っているのか

 

ぜんぜんわからない。(涙)

 

 

このことに、わたしはめちゃくちゃ動揺して

 

自己紹介のとき、しかも、トリ=一番最後だったので(涙)

 

部屋に戻ってから

すごく落ち込んだのを今でもよく覚えています。。(汗)

 

 

けれど

 

「カウアイ島は、誰でもが入ることのできる島ではなく、

 

島に足を踏み入れる人間を、島自体が選ぶ。」

 

(※これは、この3ヶ月前に、当時1歳になりたての娘と、夫のジョーさんと、家族3人で訪れたエジプトも同じですね)

 

 

そう言われていて、

 

事実、

上記に書いたように、出国の前日に、来ることを断念された方や

その数ヶ月前には、申込みを済ませていたわたしの友人が

このタイミングで念願の妊娠が発覚し、急遽キャンセルになったりと

 

そういうドラマも目の当たりにしていて、

 

これはほんとうのこと、

間違いのない事実だな、と感じていました。

 

(もちろん選ばれる、選ばれないということが優劣の話ではなく、

今生かということも含めて

愛と最善のタイミングがひとりひとりにあるのだと◎)

 

 

その中で、このコロナ騒動の中でも、ギリギリの奇跡のタイミングで

そして

当時、とっても場違いに感じてしまったメンバーの中でも(苦笑)、

 

わたしはカウアイ島を、訪れることができた。

 

(でもその「やっちまった」感を感じた時点では、まだ、オアフ島にいたので、、、

翌日、何かが起きてわたしだけとんぼ帰りかな、というのはなんとなく覚悟していました。。

でも、無事に足を踏み入れられた。。。笑)

 

 

しかも、以前のブログでも書きましたが

カウアイ島で過去の勤め先の先輩に偶然再会したり

 

不思議な感覚を体験したり、

 

そこで教えてもらうことのできたボディワークを通じて

わたし自身の中にあったものを、

癒やすためのツールを得ることもできたり、

 

わたしなりにも、いろんな”完璧”を体験していきました。

 

 

でも、トータルでは、ほんとうはずっと思ってた。

 

海外旅行に行ったことなんて、小さい頃の家族旅行を除いては一度もない。

 

英語も話せない。

 

スピリチュアルなこともほとんど知らないし、わからない。

 

そんなわたしが

この特別な島を訪れることのできたこの意味って、

いったいなんなんだろう?

 

って。

 

しかも、その3ヶ月前には1歳なりたての娘も連れて、エジプトに家族で行くという体験までさせてもらうことができて。

 

それだって、”ただの旅行”じゃない、ナイル川に4泊もしながら、神殿やピラミッドもスフィンクスも貸し切りという通常の旅行ではありえない体験です。

 

さらに娘はそんな旅行会社さんの参加者さんの中でも最年少渡航記録を更新したというおまけ付き。。。

 

 

そして帰国後はかなり早い段階で、

エジプト、カウアイ島の旅費で使い切ってしまった当時の貯金(娘のものを除く。笑)

250万円

 

何もせず、満額プラス数十万円上乗せして手元に入ってくることになり

(そして実際入ってきて)

 

もし、あのとき支払いをためらって、

自分の内側からの感覚に従わなかったら?

 

お金は倍に増えていたかもしれませんが

(でも、それもどうかな。。なんらかのかたちで結局は出ていったように思います。

もしかしたらそれは望まない出来事を通じて、だったかもしれない。。)

 

エジプトにも、カウアイ島にも、

今は行きたくたっていけないのです。

 

どれだけお金があっても。

 

「自分の準備」「自分の側が整う」ことを優先して選択して決断していたら

どれだけその「準備」が「整う」ができても

 

今は世界のほうが閉じてしまっているのだから。

 

そんな世界がもうすぐやってくるとはつゆ知らず

でもわたしは完璧なタイミングで完璧な体験をすることができたのだということ、

 

ほんとうに、導かれたのだということ、

 

そしてそれはわたし個人のためだけに起きたことじゃない

 

全体にとって必要な役割(体験)がそこにあって

 

そのために、体験させられた

 

(それはわたし自身の望みも同じくです。結局は 全体=わたし だから。)

 

じゃあその”意味”は?

 

”なんのため”に??

 

・・・

 

帰国してすぐ、Path Codeさんのブランドアンバサダーのお話が進み、

お金もないのに、その必要もなく自分のイメージのお洋服を作ってもらうという

これまた稀有な体験をさせてもらうことになったので

 

この体験の中に、

その【意味】が隠されているのだろう、と最初は思って。

 

あるいはそれらの体験を通して、またセッションをしたり、仕事をしたり。

 

そういう道が新たに展開されるのかな、というイメージでした。

 

でも今思うのは、

そういうことじゃなかった。

 

***

 

今年のお雛祭り、3月3日、

娘と夫のジョーさんと過ごして、

まずそこで、自分の中の深いところが大きく癒やされて、ゆるんだことを感じて

 

 

そしてそこから少しずつ開いていって、

今朝、一年越しのその”意味”が

 

深いところで

 

「そういうことだったんだな」

 

とわかったような気がしました。

 

 

それは、カウアイ島に訪れられたことだけでなくて

エジプトに行けたことだけでもなくて、

 

そもそも、このブログの前身となるわたしが長年書いてきたブログが

「自分を大切にする」というワードでgoogleに採用されて

長年、そこからブログの存在を多数の人に知ってもらえたこと

 

そのことがあったから、”ただ、ブログを書き続ける”ということだけで

SNS等で一切戦略のような集客のようなことをしなくても

ただ、書き続けることだけで仕事をしてこれたこと。

 

なぜだろう?と

ずっと不思議に思ってました。

 

なぜこんな有名でもなんでもないブログが?と。

 

「自分を大切にする」ことを、何度も書きながらも

そのことを、いつまで経っても一番、難しいと感じているからこそ、

自分を鼓舞するように書き続けてきて

 

でもそれは、他者にとって

果たして良いことなんだろうか?と

 

幾度も葛藤がありました。

 

自分を大切にするということが、”完成形”としてできているような

完成されたそんな人間ではないのに

 

むしろそうではないから、ブログを書き続けてきたのに

 

順位に変動はありながらも

なぜかこの5年ちょっとの間

googleに上位に表示され続けていることで

その後ろ盾があるから信頼にもつながっていること、

 

”わたしなんかが”。

 

自分の未熟さを誰よりも知っているからこそ

 

そんな気持ちがずっとありました。

 

そして自分の中に気づけば物心ついた頃からかずっとある、

 

恐怖とか、怒りとか、不安とかっていう

得体の知れないもの。

 

 

エジプト、カウアイ島から戻ってきてからは

むしろそれが噴出するかのように

よりわたしの中ではリアルに目の当たりに感じて、

 

それら眼の前のひとつひとつに必死で

さらにはアンバサダーの体験が一区切りついて、さあこれから、というときに

 

たかだか育児で、旦那さんの交通事故で(それも松葉杖で済んだことで)

 

子育てや病気や急なアクシデント

 

みんなが多かれ少なかれ通ってる道

 

そんなものにまで、敏感に感じ取って

鬱のようにまでなって。

 

一年前、与えられた体験を、導きを、

何かのかたちに還元することもできやしない。

 

 

”なんでわたしはこんなに未熟なんだろう。”

 

”なのに、場違いでも、補欠合格的な感じでも(←よもや意味不明。笑)子供がいても

周りに家族にこんなに恵まれて、行きたいところに行かせてもらえて

 

稀有な体験も、させてもらえて”

 

”でもほんとうは、こんなにダメなわたしなのに。”

 

”こんなに未熟なわたしなのに。”

 

 

ずっとそんなふうに感じていました。

 

よもや、”こんなにただのオンナでも人生良い方向にできる♡”などのんきに言えなくなるほどに、自分が恵まれすぎてることを受け取りきれなくなって。

 

 

でも、そういうことじゃなかった。

 

全部がつながっていて、

全部、そこに意味はあった。

 

与えられた体験にも、感情にも、意味があった。

 

完璧だった。

 

これで良かった。

 

全部が、つながっていた。

 

 

すごく、そのことが

やっとよくわかったんです。

 

 

一年越し

 

なんならブログを書き始めてから恵まれたいろいろな奇跡においては数年越しに

 

やっとわたしは、

 

わたしがわたしであること、

 

わたしのこの人生の

 

意味(選び取ったと感じることも、与えられたと感じることも合わせて。結局はどちらもイコールなのだけれど。)

 

そして全体の中での完璧さ

 

 

そんなようなものが、

深いところでつながった気がしています。

 

今思えば、エジプトやカウアイ島、そしてその後のこの一年間で何度か体験した不思議な出来事の意味も

 

それ以前の過去のひとつひとつも。

 

 

わたしはただ、わたしで在ればいいだけ。

 

そしてあなたも、あなたで在ればいいだけ。

 

好きに生きていい。

 

自分のためだけに生きていい。

 

そして自分を大切にすることこそが、

世界や他者のためにもなる。

 

安心して、自分を一番に大切に生きていい。

 

 

ほんとうにそうなんだ、といま、思います。

 

そのことを教えてくれる今までの経験でした。

 

なかなか娘と過ごす中で

そしてとてもいま深い満足感と至福の中で

ブログで言葉にするということのより今の毎日を大切にしたい気持ちがいまのきもちですが

また折に触れて綴っていけたらいいなと思います。

 

長文をお読みいただき感謝を込めて。