変化に意識的であろうとすることで、より豊かに“わたし”が花開く💕

インスタに先に載せたのですが

いとこの出産祝いに

スタイを手作りして贈りました💕

 

 
 
 
 
 
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MAHO AOTO(@justwomam)がシェアした投稿

 

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前のブログから見てくださってる方は

記事にしたことがあるので

もしかしたら覚えてるかもと

娘がお腹にいたときに

和装の前撮りをさせてもらったことのある

いとこ夫婦の赤ちゃんです💕

 

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その後、娘(わたしのね✨)が生まれて

手術直後の生後4ヶ月くらいのときに

ふたりの結婚式にも家族で参加させてもらいました😊

 

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娘のこのふにゃふにゃ顔。。。笑笑

 

 

それでね、インスタに書いたけれど

お祝いをこのタイミングで贈ることになって

そんな数年前のことを思い出したり

こうして写真も見返すきっかけをもらってね

 

そのおかげでまたひとつ

ボトルを使っていての

自分の心境の変化に気づかせてもらいました☀️

 

それはね、この頃

妊娠7〜8ヶ月の頃にも

大きなお腹で東京に出かけてたり

 

そんな風に初産の妊婦なのに

娘の出産前に

 

わたしは

けっこう自由に好きにやっていてね

 

もちろん無茶という無茶は

してないと思うけど。

 

そんな自覚があったから

娘が産まれてきて

 

1ヶ月検診で

先天性内反足っていう足の病気を告げられて

 

毎週、新幹線で遠い病院に通っていって

 

ちょうどこの結婚式の直前

 

ほんと、10日前くらい(!)に

矯正の経過で

延びに延びてた手術があって

 

その頃にはたぶんすごく疲れてもいたから

 

娘が、まだあんな小さいうちに

手術や寒空の下、

毎週新幹線とバスで遠くまで行かなきゃいけないこと

 

怖いことやしんどいことを経験しなきゃいけやいことに対して

 

自分が好き勝手やっていたからじゃないかな?って

自分を責める気持ちが

強く出ちゃってた頃でもありました

 

(だからこそ、

無事に手術終わって

お祝いごととしてのいとこの結婚式

 

親族みんなとも会えて

通院とは違う遠出

楽しく明るく過ごせた時間があったことには

すごく救われたとも思います💕)

 

 

ブログをずっと続けてきて

だいぶ自由に生きることができながらも

 

家族や大切な人に何かあると

 

「これってわたしが好き勝手してた罰じゃないかな?」

 

「こんなわたしがお母さんだから」

 

って

 

特に娘に対しては

娘を不幸にしちゃってるような感覚

 

頭では違う、ってわかっていても

どこかでそういうことが起きると

 

身体がきゅうっと縮こまる感覚

 

それがちょうど妃出子さんのコンサルテーションを受ける直前

娘を乗せたまま、電動自転車を転倒させちゃったときにもあり

 

そんな自分がいることは

コンサルテーションの中でも

わたしの思うわたしの課題として

お話してもいました

 

ブログにも

こんなこと書いていましたね🍀

 

 

justiam.hatenablog.com

 

justiam.hatenablog.com

 

このときはきっと

怖くて、身体がきゅうっとなったまま

でもそれをチカラ(自我)で振り切ろうと

強がって書いたものだったね💕

 

そのときのわたしにも、、、

愛と感謝と平和を送ります😌💕💕✨

 

 

けれどもいま、

ボトルを使い続けて気がついたら起きてた心境の変化

 

それは上のブログで書いたような

 

「ちゃんとできないわたし」でも

「いい」

 

 

そう思えた

 

 

…のではなく、

 

そもそもの

 

「ちゃんとできる」

 

「ちゃんとできない」

 

そんな概念が

気づいたら消えてたなあ、って

 

伝わるでしょうか

 

たとえば

「ちゃんとできないわたし(お母さん)でもいい」

 

これは一見、振り切れているようで

実は、

「ちゃんとできるとか、できないとか」

 

そんな概念が自分の中に

くっきりとあるから

 

振り切れているようで

その概念がある

同じ土俵の中を

両極に振れてるだけなんです

 

そうじゃなく、いまのわたしの中には

気づいたら

 

「ちゃんと」

とか

「ちゃんとできてる、

できてない」

 

そんな概念ごとそのものが

 

取っ払われた感覚

 

そんなものさしの無いところに

わたしの意識が飛んでった

 

とでも言うのでしょうか

 

ただ在るのは

「このわたし」

というだけ

 

このわたしが、娘のお母さん

 

シンプルに、

ただそれだけ

 

(上手く言葉にできてるか。。

もどかしいけれど。。。)

 

きっとまた何か娘に起きたら

わたしはたぶんまた

恐怖で身体がきゅうっとしてしまうことはあるだろう

 

でももしそうなったとしても

 

「その事象と

わたしがどうであるかは、

関係のないこと」

 

ここにきちんと、

ここでいうところのきちんと、とは

頭ではなく、身体の深いところで、という意味

 

そこにちゃんと、

戻ってこられる

 

なんかすごくそんな感じがしたし

 

それにそんなとき

何をしたらいいかわたしはたぶんもうわかってるなって

 

自分でなんとかかんとか

落ち着けようとか

その湧いてしまった恐怖や

ざわめく気持ち、こころの状態を

 

自分でなんとかしようとするのじゃなくて

 

そんなことにいそがしくするのじゃなくて

 

ただ、ボトルをよりたっぷり

それに合ったものを塗ったらいいだけなんだなあって

 

 

つい一週間ほど前のコンサルテーションのときには

わたしの人生の中でずっとそう、

みたいに悩みとして打ち明けてた課題みたいな

思考のクセが

 

なんかもう気がついたら

するりと溶けて消えていってることへの

驚きと喜び✨✨

 

これあくまでわたしの思うことだけど

オーラソーマって

以前、わたしがブログを書く前にずっと探究深めていた

「真我」ととても似てる

 

(実際どちらも“ほんとうの自分に目覚めてその自分で生きていく”ということをやってると思うので、

 

似てるというか目指してるところはまったく一緒なんだと思う思う)

 

というのはほんとうに

自動的に

すごく自然にガラッと変わってしまうから

(もちろん良い意味で)

 

意識的でいないと

変化してることにすら気がつかない

 

それはたとえば野菜や草木が

気づいたら芽を出し背丈を伸ばし、

実をつけ、それが気づいたら大きくなってる

 

そんな変化を毎瞬毎瞬たしかにしているはずなのに

意識してみていなければ

その道のりにまったく気がつかないみたいに。

 

そんなくらい、自然に花開いていくから

自分の変化に意識的であることって

とても大切だなあって

 

そうでないと、ともすれば

「何も変わってない」って

 

実はどんどん花開いていたのに途中でその蕾をみずから折ってしまう

(摘んでしまう)

 

効果がないからもうやめちゃおう〜とか

 

そうじゃなくてそのともすれば見落としてしまいそうなところを発見していくと

 

きっともっとおもしろいし

きっともっともっと加速する

(もっともっと花開く🌸💕)

 

 

そんなことを

もしオーラソーマをいつか妃出子さんからちゃんと学んで

わたしもまた、誰かに伝える機会を持てる日がきたら

その人の開花をいっしょに発見して

いっしょに喜んでいきたい💐💕

 

そんな想像をすると以前、

継続セッションや講座をやっていたときにそうしていたような

そんなよろこびを

 

身体が思い出してまた

細胞がイキイキする感覚があるから

 

(ボトルのサポートがあれば

きっとわたしが自分のやり方だけでセッションしていたときよりも

 

ほんとうにその開花は、たくさんのきらめきに溢れているだろう❣️✨)

 

だから、未来がどうなるかなんてまったくわからないけど

あえて言葉にしてみました😊✨💕

 

 

そして最後に、そもそもこのわたしであることで

だからいとこの前撮りも、

伊豆にいながらも、妊婦でお腹が大きくても

おばさん(いとこのお母さん)は頼んでくれたし

 

つまりそのわたしであるからこそ

役に立てること

喜んでくれる人が確かにいるってことも✨

 

(わたしがすごく大人しくて家にこもってるだけの妊婦だったら

絶対に頼もうと思わない、

頼んじゃ悪いって遠慮させちゃうもんね!)

 

そんなことにも気づけて、

感謝✨✨

 

日々、まだまだ書きたい気づきが山ほどあるけど

今日はこのへんで😊💕